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秋葉原の事件に寄せて
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- 2008/06/14(Sat) -
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今回の事件はほんとうに酷い事件でしたが、それはみなさん言ってますので、だいたいその通りのことだと思いますのでここでは触れません。
それとは別にテレビ見てて「おいおい」と思ったことを書きます。 昔からコミケのようなイベントを祝祭空間とか、そこへ集まる人々の意識を日常から隔絶された晴れ(ハレ)の意識だとか、したり顔で評論家だかなんだか知りませんが言っていましたが、いまさら秋葉原がその流れで「日常的化した祝祭空間」という矛盾した表現をされるに至り、 「おまいら言ってりゃいいってもんじゃないぞ(笑)!」 そういう意識に至ってしまいます。 おまいらそれじゃもう自称評論家としてお金を取るに忍びなかろう、そう思います。 だってそれを言ったら焼き鳥屋さんや夜の蝶が舞う繁華街などは親父たちにとっての毎晩の「日常的化した祝祭空間」ではあるし、もっと言えば携帯電話の待ち受け画面に貼り付けたしょこたんの写真を仕事中に盗み見ることだって小さな「日常的化した祝祭空間」と言えるんであって、使い古された哲学的言辞を20年も使い続けているとおまいら矛盾してくるぞ、と(苦笑) 世の中流れてるんだぞ、と。 (註:しょこたんのデビューCDは聴きました。良かったです) というかみんな古くなったせいか、昔よく使った言辞を忘れてきちゃってます。 20年も経って忘れてきちゃってるからいざマイクを向けられると中途半端な記憶から喋ってしまって馬脚をあらわしてしまうんでしょうね。 だいたいマスソースで放映掲載されるそういうアニメや漫画をマージナル(周縁的)な現象として位置付ける乱暴さが今回の事態を招いたと言っても過言じゃない。 昔だって傀儡子師とサンカをいっしょくたに語ってしまう乱暴な人も多かったから何をか言わんやですが、事象の論理化など徒労だと言いたい。 みんなお祭騒ぎが好き、の一言で済むんだから。 (註: 私はお祭騒ぎは好きじゃない。そういう場所ではなぜか孤独を感じてしまう(苦笑)) 大学教授なんだかヲタクたちの旗手だか知らないけど、無理しないでパンチラでも乳見せでも歌舞伎町のビアガーデン式の女相撲でも見ればいいのに、ということです。 私はノーパンしゃぶしゃぶもノーパン喫茶も女相撲も見に行ったことはありませんが、いったん流行が終わって行けなくなってしまうととても後悔します、行かなかったことを。 当時は「馬鹿馬鹿しい、いちいちノーパンごときのために新宿までノコノコ出かける暇も金もありゃせんわ!」と思って行かなかったんでしょうが、日刊ゲンダイとかの訪問記事はしっかり読んだりしてたでしょうし、それが今でいう「メイド喫茶」に相当するんでしょうけど、今回は別の理由でやっぱり行かないんだと思います。 現在のその理由は「ほんとうに馬鹿馬鹿しくなってしまたから」です。 このように個人の意識もうつろうもんです。 そして将来行かなかったことを後悔するんです、きっと。 そういうのが好きなんです。 なんの話をしているのか分からなくなってしまいました(笑) この自己のうつろいを詳しく観察すると、メイド喫茶は「馬鹿馬鹿しい」けど今、ノーパン喫茶や女相撲があったら「すっ飛んでいく」んじゃないか俺は、という側面です。 つまり「エロもノスタルジー」の時期に達してしまったんじゃないかと言うことです(苦笑) ・・・・・・・・・・・・ん〜。 |
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