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レイキャビク・ホエールウォッチング大虐殺
- 2008/08/24(Sun) -
裕木奈江情報

reykjavik-whalewatching-massacre.jpg

裕木奈江さんは現在北大西洋のアイスランドでホラー映画の撮影に参加している模様。

http://www.flickr.com/photos/naephoto/

その作品名が「Reykjavik Whale Watching Mussacre」
http://www.imdb.com/title/tt1075749/

少ない情報によるとこれはアイスランド映画で、遭難したホエールウォッチ船の乗客が捕鯨船に救われ、そこで起こる虐殺という「悪魔のいけにえ」や「死霊のはらわた」を彷彿とさせるホラーの模様。
「父親たちの星条旗」の硫黄島米軍上陸場面の撮影を行ったスタジオらしい。

環境団体の「鯨」を巡る政治的騒音とリンクさせるのかどうか、アイスランドと同じく捕鯨文化を持つ日本人の複数起用がどういう意味付けをされるかで作品の評価が決まってしまいそうだ。

いまポスト・プロダクション段階の「ホワイト・オン・ライス」もそうだけど、日本の映画館で観れるのかね実際。



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風の谷のナウシカ主題歌周辺
- 2008/08/17(Sun) -
細野晴臣が大好きだったので、当時ナウシカの主題歌だけでなぜ劇中は久石譲の音楽になったのか不思議でならなかったわけですが、最近謎が解けまして。



こりゃ断るわ、とか言わない(苦笑)

シングル盤で聴くとそのオケの素晴らしさを納得できるはずで、断言しちゃうんですがこの曲に乗ってナウシカがメーヴェを駆る姿は目に焼き付いてしまっているわけです、当時の予告編の衝撃によって。
だから今でもしょっちゅう聴きます。

当時はこういう恥かしい劇中歌はあたりまえだったわけで、たとえば「さびしんぼうのテーマ」




しかしこれは恥かしい(苦笑)
大林監督だったら即採用ですね。

でもまぁ久石さんという優れた才能を広く世に知らしめたという意味で、このトラブルは正解でもあるわけですが、細野さんはアニメ「銀河鉄道の夜」でアニメ映画サウンドトラックに対する雪辱を果たすわけです。
死ぬほど素晴らしい音楽だと思うわけです。



映画も素晴らしかったです。
でもまた悪い病気が出てしまうわけです。



いえ好きですけど、こういうの。
劇中の「星めぐりの歌」(作詞作曲・宮沢賢治)の細野さんのアレンジの裕木奈江ヴァージョン(絶版)も、星々の深遠に飲まれてしまいそうなくらいディープですが素晴らしいです。
YouTubeにも無いのでもって来れません・・・・。



細野さんがナウシカの音楽をやっていたらどうなっていただろうなぁと今でも思うわけですが、音楽の専門的なことは分かりませんが細野さんの曲はバッファロー・スプリングフィールド的(ニール・ヤング的)叙情の世界に和音階を無理矢理突っ込んだ(細野マジック)独自の日本的童謡世界を基本としてる気がするので、ナウシカの無国籍な(あえて言えば汎ヨーロッパ的少年少女世界文学全集的な)世界には合わなかったんじゃないかという気もします。

で、なんでも坂本龍一も細野さんのナウシカの曲が好きなんだそうで。



で、ポニョの主題歌なんだけどさぁ・・・・。


まぁいいか・・・・・・・・・あぁあ仕事しなくちゃ・・・・。


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うなぎでも釣りますか?
- 2008/08/17(Sun) -
女子短距離走者の福島千里。
今回のオリンピックでいちばんウケた展開です。

「福島千里 帰京後初練習」
「楽しんできます。でも、取材されるのは慣れないです。うなぎでも釣りますか?」
http://www.sponichi.co.jp/hokkaido/news/2008/05/02/07.html

えええ? うなぎ?
難解すぎる。
中国うなぎが話題になってたからかな・・・・・。

と思ってて短距離女子としては何十年ぶりの予選出場の快挙。
惜しくも5位で予選突破は無理になったけど、その前に書かれていた衝撃のサインが露見。

iup669827.jpg

sign.jpg

絵文字は、

ふ==ま
くし

が解。
「ふくし」の文字で走ってる人を描いてる。
「ハイテクAC」は所属チーム。
難解すぎる。

天才出現かも!?


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タモリの弔辞
- 2008/08/07(Thu) -
「8月の2日に、あなたの訃報に接しました。6年間の長きにわたる闘病生活の中で、ほんのわずかではありますが、回復に向かっていたのに、本当に残念です。われわれの世代は、赤塚先生の作品に影響された第一世代といっていいでしょう。あなたの今までになかった作品や、その特異なキャラクターは、私達世代に強烈に受け入れられました。

 10代の終わりから、われわれの青春は赤塚不二夫一色でした。何年か過ぎ、私がお笑いの世界を目指して九州から上京して、歌舞伎町の裏の小さなバーでライブみたいなことをやっていたときに、あなたは突然私の眼前に現れました。その時のことは、今でもはっきり覚えています。赤塚不二夫がきた。あれが赤塚不二夫だ。私をみている。この突然の出来事で、重大なことに、私はあがることすらできませんでした。

 終わって私のとこにやってきたあなたは『君は面白い。お笑いの世界に入れ。8月の終わりに僕の番組があるからそれに出ろ。それまでは住む所がないから、私のマンションにいろ』と、こういいました。自分の人生にも、他人の人生にも、影響を及ぼすような大きな決断を、この人はこの場でしたのです。それにも度肝を抜かれました。それから長い付き合いが始まりました。

 しばらくは毎日新宿のひとみ寿司というところで夕方に集まっては、深夜までどんちゃん騒ぎをし、いろんなネタをつくりながら、あなたに教えを受けました。いろんなことを語ってくれました。お笑いのこと、映画のこと、絵画のこと。ほかのこともいろいろとあなたに学びました。あなたが私に言ってくれたことは、未だに私に金言として心の中に残っています。そして、仕事に生かしております。

 赤塚先生は本当に優しい方です。シャイな方です。マージャンをするときも、相手の振り込みで上がると相手が機嫌を悪くするのを恐れて、ツモでしか上がりませんでした。あなたがマージャンで勝ったところをみたことがありません。その裏には強烈な反骨精神もありました。あなたはすべての人を快く受け入れました。そのためにだまされたことも数々あります。金銭的にも大きな打撃を受けたこともあります。しかしあなたから、後悔の言葉や、相手を恨む言葉を聞いたことがありません。

 あなたは私の父のようであり、兄のようであり、そして時折みせるあの底抜けに無邪気な笑顔ははるか年下の弟のようでもありました。あなたは生活すべてがギャグでした。たこちゃん(たこ八郎さん)の葬儀のときに、大きく笑いながらも目からぼろぼろと涙がこぼれ落ち、出棺のときたこちゃんの額をピシャリと叩いては『このやろう逝きやがった』とまた高笑いしながら、大きな涙を流してました。あなたはギャグによって物事を動かしていったのです。

 あなたの考えは、すべての出来事、存在をあるがままに、前向きに肯定し、受け入れることです。それによって人間は重苦しい陰の世界から解放され、軽やかになり、また時間は前後関係を断ち放たれて、その時その場が異様に明るく感じられます。この考えをあなたは見事に一言で言い表しています。すなわち『これでいいのだ』と。

 いま、2人で過ごしたいろんな出来事が、場面が思い出されています。軽井沢で過ごした何度かの正月、伊豆での正月、そして海外でのあの珍道中。どれもが本当にこんな楽しいことがあっていいのかと思うばかりのすばらしい時間でした。最後になったのが京都五山の送り火です。あのときのあなたの柔和な笑顔は、お互いの労をねぎらっているようで、一生忘れることができません。

 あなたは今この会場のどこか片隅に、ちょっと高いところから、あぐらをかいて、肘をつき、ニコニコと眺めていることでしょう。そして私に『お前もお笑いやってるなら、弔辞で笑わせてみろ』と言っているに違いありません。あなたにとって、死も一つのギャグなのかもしれません。私は人生で初めて読む弔辞があなたへのものとは夢想だにしませんでした。

 私はあなたに生前お世話になりながら、一言もお礼を言ったことがありません。それは肉親以上の関係であるあなたとの間に、お礼を言うときに漂う他人行儀な雰囲気がたまらなかったのです。あなたも同じ考えだということを、他人を通じて知りました。しかし、今お礼を言わさせていただきます。赤塚先生、本当にお世話になりました。ありがとうございました。私もあなたの数多くの作品の一つです。合掌。平成20年8月7日、森田一義」
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